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エアコン歴史

AIR CONDITIONING HISTORY

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エアコンの歴史

基本原理の歴史

 1758 年、ベンジャミン・フランクリンとケンブリッジ大学で化学の教授を務めていたジョン・ハドリーは、蒸発の原理(蒸発熱)を使って物体を急速に冷却する実験を行った。フランクリンとハドリーはアルコールなどの揮発性の高い液体の蒸発を試し、エーテルを使うと物体を氷点下にまで冷却できることを発見した。実験では水銀温度計の球部を冷却対象とし、蒸発を早めるためにふいごを使った。周囲の気温が 65  ° F (18  ° C) の状態で、温度計の球部を 7 ° F (-14 ℃ ) にまで冷却することができた。フランクリンは、温度が氷点下になると間もなく温度計の球部表面に薄く氷が張ったことに気づいた。そして 7 ° F (-14 ℃ ) にまで達したとき、氷の厚さは 6 ミリ( 4 分の 1 インチ)ほどになっていた。フランクリンは「この実験で、暖かい夏の日に人間を凍死させられる可能性があることがわかった」と結論付けた。

 1820 年、イギリスの科学者で発明家のマイケル・ファラデーは、圧縮により液化したアンモニアを蒸発できるようにすると、周囲の空気を冷却できることを発見した。 1842 年、フロリダの医師ジョン・ゴリーは圧縮技術を使って氷を作り、アパラチコーラの彼の病院でそれを使い、患者のために病室を冷やした。彼はさらにその製氷機を使って建物全体の温度を調節しようと考えた。そして、都市全体の空調を集中制御するという構想まで描いた。彼の試作品は常にうまく機能するわけではなかったが、ゴリーは製氷機の特許を 1851 年に取得した。しかし、彼の財政上の後援者が死に、その希望は潰えた。彼はその機械を本格的に開発する資金を集められなかった。ゴリーの伝記を書いた Vivian M. Sherlock によれば、ゴリーは製氷で財を成したフレデリック・チューダー (en) が彼の発明を誹謗するキャンペーンを行ったと疑い、チューダーを非難した。ゴリーは貧困の中で 1855 年に亡くなり、その空調のアイデアは 50 年間顧みられなかった。

 空気調和の初期の商業利用は、個人の快適さのためではなく、工業生産過程で必要とされる冷気を生み出すのに使われた。最初の電気式エア・コンディショナーは 1902 年、ニューヨーク州シラキュースのウィリス・キャリアが発明した。印刷工場の製造工程を改善するために設計されており、温度だけでなく湿度も制御できるようになっていた。温度と湿度を低く保つことで、紙の状態が一定となり、インクの付き方が一定になる。その後もキャリアの技術は様々な仕事場の生産性向上に使われ、増大する需要に応えるために The Carrier Air Conditioning Company of America (キヤリア社)を創設した。その後、エア・コンディショナーは住宅や自動車の快適さを向上させる手段として使われるようになっていった。アメリカでは 1950 年代に家庭用エア・コンディショナーが爆発的に売れるようになった。

 1906 年、ノースカロライナ州シャーロットのスチュアート・ W ・クラマーは、自身の経営する織物工場内に湿気を追加する方法を探していた。クラマーは同年出願した特許で初めて「エア・コンディショニング(空気調和)」という言葉を使った。これは、織物製造工程として当時よく行われていた "water conditioning" を真似て名付けたものだった。彼は加湿と換気を組み合わせて工場内の湿度を制御し、織物工場に最適な湿度を実現した。ウィリス・キャリアはこの用語を採用し、社名にも組み込んだ。水分を空気中に蒸発させるこの方式には冷却効果があり、現在ではミスト散布として知られている。

 初期のエア・コンディショナーや冷蔵庫は、アンモニア、クロロメタン、プロパンといった有毒または可燃性のガスを使用しており、それらが漏れ出すと死亡事故に繋がる危険性があった。トマス・ミジリーは世界初のフロン類であるフレオンを 1928 年に開発した。この冷媒は人間には安全だったが、後になって大気のオゾン層にとって有害だということがわかった。「フレオン」はデュポン社の商標であり、実際はクロロフルオロカーボン (CFC) 、ハイドロクロロフルオロカーボン (HCFC) 、ハイドロフルオロカーボン (HFC) といった物質で、商品名 (R-11, R-12, R-22, R-134A) には分子構成を示す数が付けられている。住宅などの空調によく使われたものは R-22 という商品名の HCFC である。これは 2010 年までに新製品には使われなくなり、 2020 年には完全に使用されなくなる予定である。アメリカでは自動車のエア・コンディショナーのほとんどが R-12 を使っていたが、 1994 年に R-134A に切り替えられた。 R-11 と R-12 はアメリカ合衆国内では既に生産されておらず、廃棄されたエア・コンディショナーから回収したガスをきれいにしたものが売られているだけとなっている。オゾン層に影響しないいくつかの冷媒が代替フロンとして開発されており、例えば R-410A はブランド名 Puron で販売されている。オゾン層に悪影響を与える主な冷媒は R-22 、 R-11 、 R-123 である。

 空気調和テクノロジーにおける技術革新は続き、近年ではエネルギー効率と屋内の空気質の改善が中心テーマとなっている。従来の冷媒の代替として二酸化炭素 (R-744) のような自然に存在する物質も提案されている。

自動車エアコンの歴史

自動車用コンプレッサーの一例
 自動車に取り付けてあるエアコン。基本的な構造は、冷房の場合は通常のエアコンと変わりなく、コンプレッサーを使う方式である。一般の乗用車の場合はエンジンとは V ベルト若しくは V リブドベルトで繋がれ、必要に応じて電磁クラッチの断続によってコンプレッサーの制御を行う。一部のハイブリッドカー等では、エンジンが稼動している時間を短くするためにコンプレッサーの駆動をモーターで行っている物、コンプレッサーのプーリーにモーターを内蔵した物がある。
  暖房は建物用エアコンと違い、 液冷エンジン において、エンジンを冷却した冷却液(冷却水、クーラント)を室内のヒーターに導き、熱交換している。すなわちカーエアコンの暖房は、エンジンの廃熱利用にあたる。そのため、暖機運転中は暖房が効き始めるまでに時間がかかる。また、一部ハイブリッドカーではエンジンが稼動している時間が短いために冷却液が温まらず、結果として暖房が効かない。そのため、暖房のためにエンジンを稼動させることとなり、夏よりも冬に燃費が悪化するケースもある。
  冷房の場合はエンジンの回転でコンプレッサーを稼動させるため、エンジンの負荷が増え、加速が鈍り、結果燃費も悪化する。 コンデンサーの熱交換によりラジエーター流入気の温度が上がるため、水温も上昇しやすい。

アメリカにおける初期のカークーラー
 アメリカ車においては早くは 1930 年代にはミスト散布の原理を用いたカークーラーの導入が始まり、 1939 年にはパッカード製自動車においてコンプレッサーを用いた冷房装置が採用された。この時代のコンプレッサー式カークーラーはトランクをほぼ丸ごと占有する程巨大なものであったため、戦前は余り普及しなかった。 同時期の 1938 年、ナッシュ・モーターズは en:Weather_Eye の商標で、温水式ヒーターを世界で初めて自社の自動車に搭載する。ナッシュは家電メーカーのケルビネーターと合併、ナッシュ=ケルビネーターとなり、戦後の 1954 年に en:Nash Ambassador のオプションとして設定された All Weather Eye は、温水式ヒーターとトランク内蔵型コンプレッサー式カークーラーを一つにした世界初のカーエアコンシステムであった。この All Weather Eye はナッシュ=ケルビネーターの後裔アメリカン・モーターズの正規オプション品となっただけでなく、瞬く間に競合製品が多数開発されるヒット商品となり、その後のアメリカ車に置けるカーエアコンシステムの代名詞的存在となった。その後、アメリカ車は 1950 年代から 60 年代に掛けてかなりの割合でクーラー・ヒーターを含むカーエアコンの導入が行われることになる。

 ドイツ車においては黎明期のポルシェやフォルクスワーゲン・ビートルなどの空冷式エンジンの車種においてマフラーの熱を室内に導入する ヒートエクスチェンジャー の導入が始まり、自動車における ヒーター 装備の嚆矢となった。特に、自動車用空冷エンジンの主流となったブロワーファンによりエンジンブロック内部に大量の冷却風を取り込む 強制空冷式エンジン においては、冷却風の一部を車内に導入するベンチレーターを装備してヒーターの代用とする例もあった。このような空冷式エンジン車のヒーターはエンジンの廃熱を効率よく利用できる反面、エンジンの回転数や外気温によっては十分な暖房効果が得られにくい場合がある事が欠点であった。

 日本車においては戦前から戦後間もなくの車種においては外気を導入する為の手動式ベンチレーターや三角窓のみが装備されているに留まっていたが、戦後復興期の国民車構想の集大成とも言えるスバル・ 360 にはヒートエクスチェンジャー形式のヒーターが装備され、ヒーターが大衆車にも広く装備される契機となった。

 1970 年代に入ると、排ガス規制への対策から 2 ストローク機関から 4 ストローク機関への転換が進んでいき、同時に冷却方式も空冷から水冷へと移り変わっていった。今日の温水式ヒーターはエンジンの水冷化に伴い登場した技術であり、基本的には室内にごく小型のラジエーターを搭載して冷却水の熱を室内に導入するものであるが、当初の物は温度調節をヒーターユニットへ導かれる冷却水の量をバルブで直接調節する事で行う必要があるものも多かった。強制空冷エンジンと異なりエンジン冷却ファンの冷却風を直接利用できないため、従来のベンチレーターと並行して電動送風機である ブロワーモーター の装備も進められる事になった。この時代のヒーターは構造上の問題や、伝統的な頭寒足熱を重視する風潮などから、足下のみから温風が出る セミエアミックス タイプのヒーターが主流であった。
 2 ストローク機関から 4 ストローク機関への転換によってエンジンの定格回転数が増加した事とアイドリング回転数が安定した事とに後押しされ、この時期に同時にメーカー(販売店)オプションとして カークーラー の導入が進められた。
このカークーラーは構造その物は現在のカーエアコンの冷房装置とほぼ変わらぬ物であるが、最大の相違点はダッシュボードに内蔵されるのではなく、助手席側ダッシュボード下にブロワーモーターと一体化されたクーラーユニットが後付けオプションの形で吊り下げられている事であった。こうしたタイプの 吊り下げ式カークーラー は必ずしも自動車部品メーカーの手により生産される物ばかりではなく、一般の家電メーカーが主体となって開発された後付け品も多数存在し、カークーラーに自動車メーカーとは異なるメーカー名が表記されている事も多かった。この時代のカークーラーにはきめ細かな温度調節を行う機能は存在せず、ブロワーファンとコンプレッサーの作動スイッチのみが存在する文字通りの冷房装置であった。この時代までは自動車の空調装置はエアコンではなくヒーターとクーラーの表記で表される事が一般的であり、今日でも年配のドライバーを中心にこの呼称が用いられる事がある。

マニュアルエアコン操作パネル
 今日のようなヒーター・クーラー双方からの風を混合する温度調節機能を備えたカーエアコンは、日本車では 1970 年代後半から 1980 年代に一般化した。しかし、 1980 年代の大衆車はカーエアコンは販売店オプション扱いのものが殆どであった。この時代のカーエアコンは送風温度を手動で微調整する マニュアルエアコン であり、コンプレッサーの作動は手動スイッチで制御する必要があった。温度調節ノブに厳密な温度数値は記入されていない事が今日でも一般的である。この時代の一部車種には室内温度センサーや日射センサーによって室内の温度を自動調整する オートエアコン が存在したが、一部のスポーツカーや高級車に装備されるに留まっていた。この時代には商用車や廉価なグレードの大衆車を除いて、ヒーターの温風は車内全ての送風口から出る フルエアミックス タイプに切り換えられていった。
 1990 年代後半になると一部の軽商用車の下級グレードを除いてマニュアルエアコン若しくはオートエアコンが標準装備となり、 2000 年代の普通車でエアコンがない車両は、競技専用車かロータス等の特殊なスポーツカーのみとなっている。モータースポーツの世界に置いてはエンジンの出力ロスや重量増大の要因となるカーエアコンは装備されない事が当たり前であったが、スーパー GT においてはセパン・インターナショナル・サーキットなどの極めて高温多湿な地域でのレースに置いて、限定的にカーエアコンの導入を行うチームも散見されている。これは高温によるドライバーの体力や集中力の消耗を軽減し、より良い成績を収めるコンディションを維持する為の措置でもある。

オートエアコン操作パネル
 AUTO ボタンでオート機能を作動させるとセンサーにより 室温が表示されている温度に達するまで 自動的に温度調節された風が吹き出し続ける。オート機能を切った場合には温度表示は 吹き出し口の風の温度を示すもの に変化し、 ECON ボタンでコンプレッサーの作動を制御する事でマニュアルエアコンとして機能する。
  今日の日本の走行条件に置いては、室内の除湿や窓の結露(による凍結)防止、視認性の向上の観点からもエアコンの正常な稼働は安全な車両の運行に必要不可欠な条件となっており、現在日本で売られている車は、商用車やコンパクトカーの廉価グレードの車を除いて、設定温度に応じて自動で送風温度が制御される フルオートエアコン が普及している。フルオートエアコンでも従来の様なマニュアル動作は可能であり、車種によっては座席毎に送風口の温度調節を個別に行える高度な空調制御を実現した物も登場してきている。
  なお、フルオートエアコンにも燃費走行の為に従来のマニュアルエアコンと同様に強制的にコンプレッサーの駆動を制御する A/C ボタン ( エコノミーボタンと表記される場合もある ) が装備されているが、梅雨などの多湿な時期においては常時エアコン ON が望ましいとされ、自動車教習所の教習車でもエアコンは常時 ON で実技指導を受ける。
 しかし、欧米では価格上昇につながる機能を嫌う消費者が多いため、よほど高級車でない限り自動調節されないマニュアルエアコンが一般的である。日本で製造されている日本車であっても、日本国内向けにはオートエアコン付きにしているが、輸出向けにはマニュアルエアコンにグレードダウンされている場合がある。
 かつてのキャブレター車両では、エアコン ON 時のアイドル回転数の制御が上手く働かずに暴走事故が起きた事もあった。これは特にディーラーやカー用品店、果てはガソリンスタンドでの後付け式カークーラー装着が盛んであった時代に散見された。現在でもオートマチック車において、エアコン ON 時には D レンジのクリープが増大する傾向を示す為、停車中に前車への追突が発生する危険性がある。
 また、 1990 年代にはオゾン層破壊が環境問題として取り上げられた影響で、カーエアコンの冷媒がフロン 12(R12) から R134a への切り替えが行われた。両者は性質は類似しているが、パッキンからの漏れやコンプレッサー潤滑不良によるロックを発生させる可能性が高い為に R12 エアコンに R134a ガスを直接投入する事は推奨されていない。先進国での製造禁止が法制化された影響で R12 ガスの入手が年々困難となり、東南アジア圏で生産される R12 を密輸入して摘発される業者も後を絶たなかった事から、パッキン類の交換を行った上で R134a への転換を行う レトロフィット や、従来の R12 エアコンにそのまま投入可能な 代替 R12 ガス といった製品が広く普及していく事になった。
  近年では花粉症対策などを謡ったクリーンエアフィルタがカーエアコンに装着される事も一般化している。日本車で初めてクリーンエアフィルタを搭載したのは 1989 年のトヨタ・セルシオであった。

 
 

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2019年10月01日