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パワースポットに行こう!

だんだん、過ごしやすくなってきました。こんな時こそ、ドライブでパワースポットへ出かけて見ませんか?西田電装サービス近郊のパワースポットをご紹介致します。


@越生上谷の大楠

場所
車で越生梅林入り口を抜け、最勝寺の路地を右折。道なりに山を登ったところ。

 埼玉県入間郡越生町上谷。全国巨木ランキング第16位、埼玉県内第1位でもある名称は「越生上谷の大楠」。巨大な木を見て、木が発するパワーを感じましょう。

A聖天宮

場所
埼玉県坂戸市塚越51-1

 聖天宮(せいてんきゅう)は、埼玉県坂戸市塚越にある道観(道教寺院)である。外観は中国風の建物で、中国風のコスプレをした人達が撮影したりもしている。なぜここに立てたのかと言うと、台湾出身の康國典大法師が、若くして不治の大病を患ったが、7年の闘病生活を経て病が完治した。大法師は感謝の気持ちを抱き、他の多くの人々も自身と同じように「三清道祖」にすがれるようお宮を建てることにした。建立地を探していたところ、日本国埼玉県坂戸市に建立するようお告げがあったため、同地に聖天宮を建立することになったという。

B黒山三滝

場所
越生町黒山

 越生町にある3つの滝の総称である。 1950年に日本観光百選の「瀑布の部」で第9位に選ばれたことがある。「男滝」、「女滝」、「天狗滝」の3つからなる。 落差10mの男滝と落差5mの女滝は2段に流れ落ち、上が男滝で下が女滝となっている。落差20mの天狗滝は男滝・女滝と少し離れた所にある。霊山に天狗が住むということからこの名が付いたとされる。黒山は古くから修験者の修行の場と知られ、滝周辺にはいくつもの宗教施設が作られた。 また、越生町津久根出身で江戸吉原遊廓の副名主だった尾張屋三平が、 男滝・女滝を男女和合の神と見立てて江戸に紹介し吉原の信仰を集めた。そのとき三平が建てた道標は現在も黒山三滝入口付近に残っている。天狗滝の奥の大平山には、修験者栄円の墓や役小角の像がある。

C巾着田

場所
日高市高麗本郷125-2

 高麗川(こまがわ)の蛇行により長い年月をかけてつくられ、その形がきんちゃくの形に似ていることから、巾着田(きんちゃくだ)と呼ばれるようになりました。 直径約500メートル、面積約22ヘクタールの川に囲まれた平地には、菜の花、コスモスなどの花々が咲き、中でも秋の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)群生地は辺り一面が真紅に染まり、まるで赤い絨毯(じゅうたん)を敷き詰めたようです。毎年多くの人がその美しさに惹かれて訪れます。

D高麗神社

場所
日高市新堀833

 若光は元正天皇霊亀2年(716年)武蔵国に新設された高麗郡の首長として当地に赴任してきました。当時の高麗郡は未開の原野であったといわれ、若光は、駿河(静岡)甲斐(山梨)相模(神奈川)上総・下総(千葉)常陸(茨城)下野(栃木)の各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1799人とともに当地の開拓に当たりました。若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀りました。これが当社創建の経緯です。
 高麗神社は、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は60代目になります。高麗郡は明治29年(1896年)入間郡に合併されましたが、当社はその後も広く崇敬を受けてまいりました。特に浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが当社参拝後相次いで総理大臣となったことから「出世明神」と広く知られるようにもなりました。現在は年間約40万人の参拝があります。
 第1駐車場内の将軍標(しょうぐんひょう・チャンスン)チャンスンは朝鮮半島の古い風習で、村の入り口に魔除けのために建てられました。将軍標は平成4年に大韓民国民団埼玉県地方本部によって奉納されたものです。

E出雲伊波比神社

場所
毛呂山町岩井西5丁目17-1

 古式ゆかしい「やぶさめ」で有名な神社。毛呂山町のほぼ中央、小高い独立丘陵である臥龍山の上に位置している。  「臥龍山宮伝記」によると、景行天皇の53年に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征を成し遂げ、がい旋した際、この地に立ち寄り、天皇から賜ったヒイラギの鉾をおさめ神宝とし、出雲の大己貴命(オオナムチノミコト)をまつったとされる。また、成務天皇の御代に武蔵国造兄多毛比命(エタモヒノミコト)が、出雲の天穂日命(アメノホヒノミコト)をまつり、大己貴命とともに出雲伊波比神としたとされている。
 奈良時代の宝亀3年(772)の大政官符によると天平勝宝7年(755)に朝廷から幣帛(ヘイハク・神前に供えるもの)を受けたという記載があり、出雲伊波比神社が官弊社であったことが明らかにされた。
 平安時代には、醍醐天皇の勅命で編さんされた延喜式神明帳のなかで武蔵国入間郡五座の筆頭にあげられており、古来より格式の高い神社であったことがわかる。
 鎌倉時代以降、武士の信仰も集め、源頼朝が畠山重忠に造営を命じ、また、大永7年(1527)の焼失後、翌亨祿元年(1528)には、毛呂顕繁が再建。
 現在の本殿はこの再建時のもので一間社流造、県内最古の神社建築であり、棟札二面と併せて国の重要文化財に指定され、埼玉県内では最古の神社建築となる。

F萩日吉神社

場所
ときがわ町大字西平1198

 欽明天皇6年(537)11月、蘇我稲目によって創建されたと伝えられ、鳥居西脇に聳え立つ町指定天然記念物 児持杉に祈ると子宝を授かるとの伝説があります。

G三波渓谷

場所
ときがわ町大字別所/大字田中

 都幾川をさかのぼると、川の両岸が狭まり、岸壁が続きます。長い歳月を経てこの両岸に造り出されたダイナミックな景勝地が「三波渓谷」です。

H武蔵越生七福神めぐり

場所 越生町内 徒歩約13kmのコース

越生町黒山地区から町の中心部にかけて、七つの寺をお参りするコース。まず、越生駅からバスで黒山まで行き、そこから駅に向かって歩くコースがおすすめ。途中、山道などもありますので、ハイキングスタイルでお出かけください。

 
 

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2021年10月12日

2021年10月12日